工芸品としての三線を
知るための10冊
選定書籍一覧
(園原 謙・選)
家宝としての三線の考え方が沖縄にはある。ウチナーンチュは三線が好きである。三線には楽器としての音色、工芸品としての形の美の魅力があり、それを相伝することに価値を置く文化がある。
王国時代から三線は歓待芸能の楽器として活躍してきた。王国末までに、三線の七つの型が生まれた。南風原、知念、久場、真壁、平仲、与那城、と数々の名工が生まれ、その名にちなんだ型がある。また特別に、「開鐘」と呼ばれる真壁型三線がある。その三線型は、現代の職人にも継承されているからすごい。戦前から研究者やマスコミによって、「五開鐘」と呼ばれる三線があった。
王国時代、三線製作者は「三線打」と呼ばれ、王府貝摺奉行所に配置された。線や曲線を形作るためには、木地づくりの高度な技術が求められた。王国解体後、その製作者は那覇などに店を構えた。1900(明治33)年の新聞記事には、三線職人組合がすでに存在し、作業手間賃の一律化と違反時の罰金などが記されており、職人の困窮ぶりがうかがえる。
その三線が楽器色よりも工芸品色が強調され始めたのは戦後のことだ。1955(昭和30)年に翁長、志多伯、湧川の三開鐘三線を含め合計11挺の三線が文化財に指定された。本来、三線は各家で伝来してきた家宝のため、他人に披歴するものではなかったが、文化財指定で、社会全体でその価値を再認識し、共有する風潮ができあがった。
博物館や琉球三線楽器保存・育成会(以下「三線保存会」)の活動は、工芸品としての三線の形や各部位の採寸や由緒伝来等聞き取り調査を行うことで、三線を楽器の工芸品として体系化し、国指定をめざす条件整備の目的があった。
解説
戦後74年を経て、沖縄の三線文化は日本遺産にもなった。三線の活躍シーンは県民の誇りだ。一方で、県産三線を取り巻く状況は製作者の高齢化、後継者不足、また、廉価な海外産との価格競争に悩まされる。その逆境の中で、三線は2018(平成30)年に国の伝統的工芸品に指定され、今や日本を代表する伝統的工芸品に成長した。三線文化を守り、さらに発展させるためには、原材料の確保をはじめ、製作者の育成、またそれらを活用し、その文化を大切にする人々の存在が不可欠である。

園原 謙 (そのはら・けん)
1958年 国頭村生まれ。
琉球大学社会学科卒。
沖縄県立博物館・美術館 主任学芸員。
『三線の型の正型と名器の音色分析』(2012 琉球三線楽器保存・育成会)の著書をはじめ、流出文化財調査、三線、文化財保護等に関する論文多数。

(写真:沖縄タイムス社)

さて、文献上で裏付けられる現存最古の三線は、徳川美術館(名古屋市)が所蔵する「琉球楽器」一式(21点)の中に含まれ、三線と呼ばれた。1796(寛政8)年に島津家が尾張徳川家に献上したものだ。1792(寛政4)年に作製された彩色の小冊子『琉球楽帖楽詞楽器之図』(県立博物館・美術館所蔵)がある。楽帖(プログラムと演奏者)、楽詞(楽曲の歌詞)、楽器(20点)が紹介され、その中に「琉三絃」が紹介される。棹に「黒檀」、胴に「蛇皮」など絵図と各部位の仕様が記される。

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歴史家の東恩納寛惇が東京の古書市で、1939(昭和14)年に与那城型に分類される江戸与那を見つけた。その三線の里帰りと供養祭が首里城南殿で開催された。その際に、首里那覇の門外不出の家宝三線24挺が一堂に会した。
この祭事終了後に、郷土博物館(首里城北殿)で、3日間限定の三線の特別公開が行われた。これが沖縄初の三線展である。三線供養祭の詳細は、「三味線考」『東恩納寛惇全集8』参照。

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東恩納が江戸与那(三線)の(魂)を供養したことは奇行に思えるかもしれないが、実はそれに似た感覚は旧王家にもあった。所蔵三線2挺が大展覧会に出品された。1929(昭和4)年、読売新聞社が東京府美術館で開催した「日本名寶展覧会」だ。同展は、旧侯爵諸侯や古社巨刹の秘蔵品や帝室御物、国宝150点が展示された、いわば日本のお宝中のお宝が公開された。
尚家は、現在国宝の玉冠や宝刀千代金丸に加え、三線を出品した。その記録が読売新聞社編『日本名寶物語』(1929)に「蛇皮線」として紹介されている。大和的感覚では、庶民の楽器・三味線は家宝と思われにくいが、沖縄ではそうではない一例といえる。

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工芸品としての研究の先駆けは、池宮喜輝の『琉球三味線寶鑑』(1954)である。戦後間もなく、移民地ハワイ、ペルーなどで約9千挺の三線の調査を行っている。その中から、約400挺を写真入りで紹介。棹が接がれていないこと、黒檀材、各型の正型など厳しい審査基準を設けた。その由緒伝来も興味深い。
琉球政府時代の合計11挺の三(味)線は、1972年の復帰の際に、国・県指定の文化財の格付けが議論になったが、三線研究の学術的成果の不足や指定基準の曖昧さ、全国的に例がないことなどから、いまだに県指定に甘んじている。

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1986(昭和61)年に当時の首里の県立博物館では、三線保存会が立ち上げられ、琉球古典音楽の大家、文化財関係者らが集まって、毎月1回の三線鑑定会が開催された。多くの名器三線の所有者が自慢の三線を持参し、その鑑定を受けた。そこに古三線に関する情報が集まった結果、戦後初の本格的な三線展、『特別展 三線名器100挺展(図録)』(1988)が開催された。

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博物館はそれ以降、約10年おきに三線展を開催している。平成に追加指定された9挺のお披露目を兼ねた『三線のひろがりと可能性展(図録)』(1999)、工芸的視点で三線の形の美しさと奏でる音をテーマにした『三線のチカラ―形の美と音の妙―(図録)』(2014)、三線保存会設立30年を記念した『沖縄が誇る家宝の三線展(図録)』(2019)と次々開催し、工芸品として三線の魅力を発信してきた。

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博物館はそれ以降、約10年おきに三線展を開催している。平成に追加指定された9挺のお披露目を兼ねた『三線のひろがりと可能性展(図録)』(1999)、工芸的視点で三線の形の美しさと奏でる音をテーマにした『三線のチカラ―形の美と音の妙―(図録)』(2014)、三線保存会設立30年を記念した『沖縄が誇る家宝の三線展(図録)』(2019)と次々開催し、工芸品として三線の魅力を発信してきた。

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博物館はそれ以降、約10年おきに三線展を開催している。平成に追加指定された9挺のお披露目を兼ねた『三線のひろがりと可能性展(図録)』(1999)、工芸的視点で三線の形の美しさと奏でる音をテーマにした『三線のチカラ―形の美と音の妙―(図録)』(2014)、三線保存会設立30年を記念した『沖縄が誇る家宝の三線展(図録)』(2019)と次々開催し、工芸品として三線の魅力を発信してきた。

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沖縄戦の戦火を免れ、県内に所在する戦前製作の古三線の実態把握は復帰後急務であった。1989(平成1)年度から4カ年計画で、文化庁補助事業で「県内所在琉球三味線調査」が行われた。県内在の古三線の悉皆調査を行い、600挺余の三線が調査された。その報告書が『沖縄県文化財調査報告書第110集 沖縄の三線―歴史資料調査報告書Ⅶ』(1993)である。また、三線実演家からの聞き取り調査に基づき個々の名器三線に関わる伝承など三線こぼれ話をまとめた宜保榮治郎著『三線のはなし』(1999)も同時期に刊行された。

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2012(平成24)年度の県対米請求権事業協会の調査研究事業に採択されたのが「三線の型の正型と名器の音色分析」の研究。名器三線の演奏収録音を、100人余を対象に聴取実験を試み、現代人が評価する三線の「良い音」を探った。その報告書が拙書『(社)沖縄県対米請求権事業協会助成シリーズNo.47 三線の型の正型と名器の音色分析』(2013)である。

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